1 概要
司法試験受験生の中には、自宅での独学メインで勉強している人もいるかもしれません。しかし、可能であれば、勉強会等で、仲間と一緒に勉強する機会を確保することをお勧めします。
そして、内容的には、少なくとも「答案を実際に書き、見せ合い、互いに意見を出し合う」といった勉強会をするのをお勧めします。もしもどうしてもその仲間が得られない場合は、予備校の答練や模試など、とにかく人に答案を見てもらう機会を確保するべきです。
すでに勉強会を開いている人や、答練等を受講している人にとっては今回のお話はあまり参考にならないかもしれません。
なお、後にも触れますが、勉強会を開く場合は、できれば「答案の書き方の方法論」について、ある程度グループ内で共有することをお勧めします。
2 勉強会をお勧めする理由
勉強会をお勧めするのは、大まかに言うと、
①みんなが書くような内容を書けるようになる(書く内容の選別)
②自分の表現の不十分な部分を改善する(表現の修正・調整)
③あてはめの相場観を養う
③あてはめの相場観を養う
ために勉強会がとても役立つからです。
(1)①書く内容の選別について
「一生懸命書いた法律構成や論点が、模範答案では簡単に済まされていたり、そもそも触れられていなかった」という経験のある人も少なくないと思います。
前回の記事でも触れましたが、実務法学は説得の学問ですから、「皆が悩む論点について」厚く論じることが求められます。(積極的な誤りでないならば、自分だけが気になるような論点を論じても別に構いませんが、加点にはつながりませんし、時間も紙幅も奪われて本来書くべきことが書けなくなってしまいます。)
ですから、書く内容が独りよがりになってしまわないよう、「皆はどういう部分を気にするのか」に絶えず気を配っておく必要があります。
実を言うと、書くべき内容を考える際には、例えば刑法で「より重い罪である強盗殺人が成立しうるからまずはこれを検討し、ひとまず殺人罪は検討しない」とか、刑訴法で「被疑者の同意が得られなかったからこそ強制処分である検証がされたのだから、任意捜査の原則は問題にならない」など、論理的に選別できる場合は多いです。
しかし、実際には、「自分は気になるが、解説や参考答案では触れられていない」という点について、「なぜ触れられていないのかの理由」を自分で考えるのはそう簡単ではありません。理由がわからないからこそ自分はそれを答案に書いたのですし、参考答案や解説でその点について触れられていない以上、なぜ触れないのかのヒントを得るのも難しいからです。
こんな時、自分が気になる論点について、勉強会で話題に出してみれば、それに触れない理由についてのヒントを仲間から得ることが期待できます。(なお、答練でも、「何故それを書く必要がないのか」の理由について添削コメントで指導してもらえることはあるかと思います(少なくとも私が添削する場合はそこまでコメントしています)が、十分なコメントをもらえずにスルーされてしまう恐れもありますので、仲間と議論する機会も持つ方が良いです。)
また、記載内容を論理的には選別しづらい場面であったとしても、周りの反応から、「ああみんなも全く気にならないわけではないが、教科書等で論点化されていないからひとまずこの点は無視しているようだ」とか、「ああこれはそもそも自分以外誰も気にしないことなのだ」などが分かります。それを積み重ねれば、相場観のようなものもできてきます。
以上のような理由から、勉強会を開くことは、記載内容の選別にとても役立ちます。
(2)②表現の修正・調整について
書くべき内容を適切に選別することができ、正確な論点知識があったとしても、「それを答案上に適切に表現できるか」はまた別の問題です。
まして司法試験では、限られた時間内で限られたスペースに答案を書く関係上、どうしても表現は雑になりがちなので、絶対に略してはいけない部分を略してしまったりする恐れもあります。例えば、行政法答案で「裁量処分であっても逸脱濫用がある場合には違法となる。これを本件について見る・・」などといった表現にとどめてしまい、「行訴法30条の指摘」や「どのような場合なら裁量逸脱濫用になるかの判断基準定立」といった点を書き洩らしたりするような恐れです。
通常、自分の答案は、「自分が必要十分だと思った表現」で書いていますから、自分一人で答案を見直してみても、「必要十分な表現がされているじゃないか」と思ってしまう可能性が大きく、一人で表現を修正・調整するのはやや困難があります。(もちろん、とりわけ注意深い人であれば自分一人でも可能だとは思います。)
このような場合、互いに答案を見せ合うことで、表現が誤っている部分、曖昧な部分、言葉足らずな部分などについて、互いに指摘し合うことができます。このような点でも、勉強会はとても役立ちます。
(3)③あてはめの相場観の養成について
事例問題で結論を導くには「本件あてはめ」が必要で、あてはめの際には事実評価が必要となることが少なくありません。そして、事実評価とは、「あなたがその事実にどのような意味付けをするか」ですから、答案作成者個々人で異なってくることがあるのは当然です。
しかし、だからと言ってあまりに無理のある事実評価をすることは避けるべきです。「読み手を説得するための」答案を書くのですから、「考え方によってはなるほどと思える」ような答案を書く必要があります。そのため、自分以外の誰も(またはほとんどの人が)納得しないようなあてはめは、避けなければなりません。
具体的には、例えば「夜間無人の工事現場で、被害者が逃げられないようにバットで両足を強打し、首元にナイフを突きつけながら金品を要求した」という事例で、「被害者の両手は無傷で空いていた以上、手持ちの防犯ブザーで人を集めたり、携帯電話で警察に通報するなどの反抗の余地が残されていた。したがって、反抗抑圧に足る暴行があったとは言えない。(よって強盗罪の『暴行』は認められない。)」などという事実評価をするのはさすがに無理があります。ここまで無茶な評価をする人は少ないと思いますが、筆が乗るとつい乱暴な事実評価をしてしまうこともあります。
そこで、このようなことを避けるため、勉強会で、自分の事実評価、みんなの事実評価を見比べることで、あてはめの相場観を養っていくのが良いです。
(次のページでは、勉強会を開く際の注意点等に触れます。)
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